相賀八幡神社
おうがはちまん

別称「ごもうの八幡さん」

鎮座地 和歌山県橋本市胡麻生237

ご祭神 誉田別尊(応神天皇)
    足仲彦尊(仲哀天皇)
    たらしなかつひこのみこと

    気長足姫尊(神功皇后)
    おきながたらしひめのみこと
和歌山県橋本市胡麻生(ごもう)に鎮座。
 創建は不明。『南海道紀伊国神明帳』によると「天手力雄・気長足魂・住吉神とあり、古くは住吉大社の神を祀っていたようである。
『紀伊続風土記』によれば、「(伊都)郡中の古詞五社」の一つで「村中十一ヶ村の氏神なり…即ち、此れ八幡宮なるべし…(相賀)荘中の大社なり」とあり、また『寛文雑記』には坂上氏人(坂上鷹養)が勧請して社殿等を造営し、神主・別当などを置いて、神事に石清水八幡宮の祭式を執行した為、古儀の祭式が失われたとも云われている事から、九世紀頃、その土地豪族、坂上氏が本来からあった神社に石清水八幡宮から八幡神を勧請して合祀したと思われる。その後、文亀二(1502)年、応仁の乱後の争いの影響で荒れていた社殿を坂上氏が再興したが、天正九(1581)年の春、織田信長の高野山攻めの後、高野山衆徒の反撃の際に当社も焼き討ちに遭い、焼失した。天正十四(1586)年、牲川海部氏によってこれを再興造営したと伝えられている。

 近世には胡麻生(当社の楼門を『御門』と呼び後『胡麻生』に転訛)・橋谷・慶賀野・柱本から妻・古佐田・橋本など十一ヶ村の氏神となり、毎年旧暦の八月十五日には「放生会」という古い祭礼を行い、村々から山車が出された。
 本殿は三間社流造で、内外ともに鮮やかな彩色が施されている。
 壁面には龍や唐獅子・虎・貴人などを描いてあるが、これらは平成九年に山内清治画伯によって塗り替えられたものである。
本殿と昭和初期に建てられた入母屋造の幣殿と併せて権現造の様式を呈している。
本殿向かって右手に境内社が鎮座する。

猿田彦神社 ご祭神 猿田彦命

八王子神社
ご祭神 日本神話において天照大神が須佐男命と高天原で執行した誓約の際現れた五男三女の神々

向かって左側から
河原若宮大明神 ご祭神 仁徳天皇
右側、琵琶が描かれている
弁財天社 
ご祭神 弁財天

五社大明神
ご祭神 天照大神・保食命・大山柢命
宗像三女神・大己貴命
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