尾山神社
おやま
ご祭神 前田利家公・正室松子命

鎮座地 石川県金沢市尾山町11-1

アクセス
 JR金沢駅下車タクシー5分
 または、北陸バス南町下車徒歩3分

 金沢東ICより車で30分
 金沢西ICより車で30分
 
 

 鳥居の奥に一際異彩を放つ神門は、明治八年の建築で和漢洋の三様式を混用した異色の門として、兼六園と共に金沢市のシンボルとなっている。オランダ人ホルトマンの設計との説もあるが、棟札によると、建築総管は藤田貴知の設計で、工匠長は津田吉之助とあるのだそう。第一層は戸室石(俗称加賀花崗岩)を用い、第三層は四面五色のギヤマン張りで、もとは御神灯が点灯され、現在も夜になると明かりが灯る。第三層目に設置された避雷針は日本最古のもの。
 神門内上部も彫り物が施されてあり、立派な造り。階段は左右に設置されている。
 旧称 卯辰八幡《うたつはちまん》。
 御祭神は、前田利家公と正室松子命。
公亡き後、ただちにその御霊を祀ることが企てられたが、独自の祠を設けることができなかったため、富山の守山海老坂烏帽子《もりやまえいびさかえぼし》の社を遷し、卯辰山八幡宮と称し、合祀した。
 これより代々の藩主が祭祀してきたが、明治六年(1873)には、旧藩士らが前田氏の功を讃えるため神社の創建を計画、旧金谷御殿の跡地である現在地に御社殿を新築。
翌明治七年には県社に昇格、そののち明治三十五年に別格官幣社に列せられた。

 本殿は三間社流れ造。
 右外側の玉垣は、レンガ造りで、剣梅鉢の御紋すかしとなっている。

 境内にある利家公 赤母衣衆隊長の騎乗像とお松の座像。

 母衣「ほろ」について
流れ矢を防ぐために、鎧の背にかけた布のことを言います。その後時代の推移により、風にふくらんだ形を示すために、竹串、鯨の骨類、ひげ等を骨組みに入れるようになり、これを母衣と呼びました。戦国時代(西暦一五六〇年頃)に騎馬武者は、これを背に戦場を駆け巡り、連絡の役をつとめました。このような騎馬武者を母衣衆と呼びました。織田軍団の母衣衆は、佐々成政を筆頭とした十人の黒母衣衆と、前田利家を筆頭とした九人の赤母衣衆とで合計十九人でした。
そして、戦闘となれば、諸隊のガイド的役割もあり、敵にとって目に付きやすく、大変危険でもありました。

 お松の方座像
 名は「まつ」といい、前田利家の正室で 天文十六年(一五四七)七月九日尾張の国に生まれる 十二才の時に九才年上の 前田利家に嫁ぎ次男九女を儲ける 賤ケ岳の戦いには 柴田勝家に味方して敗れた前田利家に代って豊臣秀吉との和議に尽力された。お松の方は利家と戦国乱世を共にし、加賀藩を外柔内剛にて支えられました。(以下略)
〜案内板より〜


 摂社 金谷神社《かなや》 前田家の二代目藩主前田利長公から十七代目までの歴代の藩主・当主とあわせてその正室(夫人)をお祀りしている。
 さし石(力石)
 旧藩主前田家よりの拝領石
 一般に番持ち石ともいわれ、古くより若衆達がこの石を担いで力と技を競った。特にここ加賀においては、草相撲と並んで盛んに力比べが行われた。これにちなんで、この石に触ると健康になるといわれ、古くより多くの人々がこの石を触り幸福への第一歩である健康を祈った。
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