関蝉丸神社下社 せきせみまる
別名 坂脚の社、関清水大明神蝉丸宮

ご祭神(主神)豊玉姫命、道反大神
   (合祀)蝉丸

鎮座地 
滋賀県大津市逢坂1丁目15-5
            (旧関清水町)






 石灯籠の入り口の横に「関蝉丸神社」と「音曲藝道祖神」の石碑が並ぶ。
そこから一の鳥居にかけての参道を京阪電鉄が横切るように走る。線路の前は、交通量の多い道路に面しているが、その道路を走行中も、お宮さんの独特な雰囲気に惹かれて、思わず脇見をしてしまうほど。

 関蝉丸神社

 琵琶の名手蝉丸をまつる神社は、旧東海道沿いに神社があり、当神社は下社にあたる。
平家物語、謡曲「蝉丸」などにも、その名が見え古くから歌舞音曲の神として知られる。
 また、境内には紀貫之の歌で有名な「関の清水」や「小町塚」、需要文化財の「石灯籠」がある。
 〜石碑横の案内板より〜


音曲芸道祖神「蝉丸」の碑が建つ
 社伝によれば、平安時代、嵯峨天皇(在位八〇九〜二三)のときに猿田彦、豊玉姫をまつり、円融天皇(在位九六九〜九八四)の代に蝉丸を合祀したとされている。

関の清水
 この蝉丸神社には、さまざまな伝説が残されているが、『関清水大明神縁起』では、蝉丸は醍醐天皇(在位八九七〜九三〇)の皇子という設定で、次のように記されている。
 蝉丸は盲目であるため王宮に居ることがかなわず、逢坂山にただ一人流刑の身となった。蝉丸の姉宮は弟の身の上を哀れみ、ある逢坂の山中に蝉丸をさがしに行く。
 すると、どこからともなく琵琶の音が聞こえてくるので、それをたよりにとある草案の前に立つと、人の気配を感じた蝉丸が扉を開けた。ひさしぶりの対面をはたした姉宮はかわりはてた蝉丸をまのあたりにして「御心モ乱レ、狂乱シ給フ時ハ、御髪モ逆様ニ立ツ」ありさまで、それより姉宮の名は逆髪《さかがみ》と呼ばれた、というのである。
 この物語は、能の「蝉丸」にも記されるところだが、一方、平安時代末期の説話集である『今昔物語』には、蝉丸を宇多法皇の皇子敦実親王の雑色《ぞうしき》として、別のかたちで記されている。
 同社は元来「逢坂山の関の明神」であったことが『万葉集』(巻一三)に見え、“関の神”、“手向けの神”として古代から厚い信仰をうけていた。『三大実録』の貞観十七年(八七五)十二月五日条に、近江国で「坂神」として朝廷から従五位下を授けられたのは、同社のことと考えられる。
 その後、この関の神に、盲目の琵琶法師の祖とされる蝉丸の霊が合祀された。蝉丸が逢坂山に隠棲していたことは、平安時代後期の『今昔物語集』に見えるが、鎌倉時代初期の鴨長明《かものちょうめい》の『無名抄』には、蝉丸が関明神と信じられていることが記されている。
 蝉丸は天暦五年(九五一)の勅撰和歌集『後撰集』にみえる、
   これやこの ゆくもかえるも 別れては
   しるもしらぬも あふ(逢)坂の関

の作者としても知られるが、生没年・出自等は不詳である。
 この蝉丸と関明神が同一視された結果、関蝉丸明神社は「音曲諸芸道の祖神」としてあがめられることになった。中性・近世を通じて同社の高名は広がり、芸道を志すものは必ず参詣したという。
 現在、関蝉丸神社は、上・下二社をもって一社を構成している。上社は旧片原町に鎮座し「坂頭の社」「関大明神蝉丸宮」とも称し、下社は旧関清水町に鎮座し「坂脚の社」「関清水大明神蝉丸宮」とも称する。

 管弦の道をきわめた源博雅が、ある日「会坂ノ関」に蝉丸という琵琶の名手が住むとの噂を聞き、蝉丸のみが伝えるという流泉・啄木という秘曲の伝授をこうため逢坂山に向かった。庵のそばで、博雅は、今か今かと蝉丸が秘曲を奏でるときを待ったが、一向に願いはかなえられず、そのうち三年の月日が流れた八月十五日、「月少シ上陰《クモ》リテ、風少シ打チ吹キタリケル」興深い夜となり、今宵こそは秘曲を、と念じつつ庵を訪ねた博雅は、ようやく流泉・啄木の秘曲を聞くことができたという。

 博雅と蝉丸の物語に関連して、興味深い伝承がもう一つ。

 〜立聞観音〜 《たちぎきかんのん》
 博雅は毎夜蝉丸の庵で、蝉丸の奏でる琵琶に聞きほれていた。ある夜のこと、博雅は、琵琶を弾く蝉丸の後ろに、墨染めの衣を着た僧が立っているのに気づいた。それからというもの、毎夜その僧は現れ、蝉丸の琵琶に耳をかたむけているのである。そこである夜、僧の跡をつけていくと、安養寺(逢坂一丁目)の観音堂に姿を消してしまった。
 安養寺立聞観音の名は、この故事に由来している。『蓮如上人旧跡安養寺誌』
重要文化財 
 工芸品 石灯籠(時雨しぐれ燈籠)一基
           大津市逢坂一丁目
「時雨燈籠」の名称でしられる六角形の石灯籠です。
六角形の基礎には単弁の蓮華座を彫り、その上にたつ竿の中ほどに蓮華と朱紋《しゅもん》帯をつくり、六角形の火袋は簡素なもので、火口を一ヶ所と小さな丸窓を設け、壁面も上部にだけ連子を《れんじ》を彫っています。
六角形の笠もうすく、蕨手《わらびて》はよく古式をとどめています。最上部の宝珠と請花は後補。
いずれにしても作成年代を示す銘文はないが、様式上、鎌倉時代の特色をもったよい石灯籠で貴重なものとして昭和三十七年六月に国の重要文化財に指定されました。
 大津市教育委員会
平成三年二月
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