倭文神社
しずり

鎮座地 奈良県奈良市西九条町二丁目14の2

ご祭神 武羽槌雄命
    経津主命
    誉田別命
 

● 蛇塚
倭文神社、鳥居
倭文神社 拝殿
 祭神の武羽槌雄命は、天羽槌雄命と同名で織部の神で、倭文氏はその後裔である。辰市郷に住んで神衣を織ったと伝えている。
 経津主命は春日大社第二殿にまつられている武神、さらに誉田別命は応神天皇で八幡神である。
奈良市西九条町二丁目十四の二

 倭文神社

一、祭神  武羽槌雄命 経津主命 誉田別命

一、境内社 若宮社=大鷦鷯命、蛇塚神社=須佐之男命
                (八阪神社とも云う)
一、祭日 三月祈年祭 十月十日例祭 十一月新嘗祭、毎月一日月次祭

一、氏子 西九条全域
 
一、由緒概要
 稱徳天皇の御宇神護景雲二年 春日大社御蓋山の頂に遷座し給ふ後、侍従社司 中臣連時風・秀行氏が此の地に居住し勧請したと云われ、その祖 武羽槌雄命(織部の神)を鎮祭した。倭文氏はその後胤で此の郷に住んで神衣を織ったと伝えられている。経津主命は春日大社第二殿に奉られている武神、誉田別命は応神天皇で八幡宮である。

 御神徳 あらゆる生産、商売、安産の守護神として信仰されている。

【境内の立札より】
 本殿は昭和五十七年に改修されたが、全般的には古い様式を伝えている。古くから「しずりのやしろ」とか「ひずりのやしろ」と呼ばれていた。(『大和 名所図会』)。境内には元文二年(1737)明和三年(1766)など約二十基の石灯籠がある。

本殿右より、経津主命 
      武羽槌雄命
      誉田別命とありました。
倭文神社本殿
倭文神社、若宮社  本殿の右に境内社、若宮社があり、祭神は大鷦鷯尊である。この神は仁徳天皇の御諱(いみな)で「おおさざきのみこと」といい、古事記には大雀命の字をあてる。
 仁徳天皇をまつる神社は 大阪の高津宮で秀吉の大阪城築城に際し高津の地に遷されたという。

 倭文神社の沿革については明らかでないが、記録によると、神護景雲二年(768)中臣時風・秀行の勧請とし、古い由緒を伝えている。
 蛇塚神社
 広い境内地の東北に小さく独立したような形で境内社蛇塚神社がある。祭神は須佐之男命で、一般には八阪神社ともいう。社殿は桁行二尺、梁行
一尺六寸の小さいものであるが、少し高くなったところに蛇塚がある。社殿の前方に「嘉永五年(1852)八月吉日」と刻んだ四角形石灯籠がある。境内の西北隅に旧竜頭寺の堂もある。
蛇塚社
 
 倭文神社の蛇祭は、古くから近在によく知られていた。現在もその形式を踏襲するが、以前は随分盛大に行われた。大正四年の『神社調査書』には当時の様子が記されている。
 「当社例祭ニ八十二ノ人形ヲ作リ○御供ノ上ニ差シ込ミ別ニ大炬ヲ作リテ神社境内ニ持チ込ミ神饌ノ供進終ルヤ直チニ大炬ニ火ヲ放チ之ヲ焼キ盡スノ式アリ傳説ニ云フ往昔大蛇アリテ人ニ害ヲ為スコト往々アリ李(理)源大師深ク之レヲ憐ミ大蛇ヲ打チ平ケ人々ヲシテ安全ナラシメラレタリト云フ」蛇祭は麦藁で五mほどの大蛇を作り、町を回って境内におさめる。
 また御供も サトイモの茎で蛇形を作り御膳にあげる。人身御供の名残ともいわれる。
祭礼には子供相撲が行われる。拝殿に明治二十三年(1890)の相撲の絵馬があがっている。
「矢相撲」は本来西九条の当屋の行事であった(『奈良市史 民俗編』)。
天保五年(1834)の「当屋約定書覚帳」が同地西村家文書中に保存されている。
  
倭文神社、御旅所
倭文神社鳥居のすぐ右側にある「御旅所」の棟札に
            町内繁昌
      祝上棟 倭文神社 仮拝殿
            家内安全
          昭和六十一年十月十三日とありました。
境内のご神木
 現在、倭文神社の隣は児童公園になっています。
また、境内には小さな子供のお願いごとを書いた
絵馬が、あがっていました。
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