潮御崎神社
しおのみさき

御祭神 少名彦名命

鎮座地 和歌山県東牟婁郡 串本町潮岬


 本州の最南端、潮岬灯台を目指す。
潮岬周遊線R41を潮岬灯台前で下車。
(有料駐車場あり・バスの便もあり)
 徒歩で潮岬灯台へ向かう。灯台入り口の向かい側、潮御崎神社の入り口に石柱と御製歌の石碑がある。
 古くは現在潮岬灯台のある潮見の端に鎮座したが、明治三年(1870)の灯台設置の際、移転した。

 社伝によると「日本書紀」神代上に「少彦名命、行きて熊野の御崎に至りて、遂に常世郷に適しぬ」とある「常世郷」は当地で、当社の北御穀田(御供田)の浜の南隅ある洞窟を少彦名命の神隠座静之窟<しずのいわや>といい、その後静ヶ峰に勧請、さらに潮見の端に移り再び現在地に至ると伝える。静之窟は「万葉集」巻三に「大汝少彦名のいましけむ志都の岩屋は幾代経ぬらむ」という生石村主真人の歌が載るが、その所在は石見・播磨など所説あり、確かではない。
 また鎮座地一帯は「日本書紀」仁徳天皇三十年九月十五日条に「皇后、紀国に遊行でまして、熊野岬に到りて、即ち其の処の御綱葉を取りて還りませり」とある地といわれ、この辺りに群生するマルバチシャノキを、皇后磐之媛の採った御綱柏だと伝えている。
 神社は「三代実録」貞観十七年(875)十月十日条にみえる「三前神」ともされる。

串本町指定文化財
御綱柏(みつながしわ)S.56.6.1指定
 記紀にいう御綱柏は「16代仁徳天皇の后磐之媛が豊楽(宮中での酒宴)をなさろうとして熊野岬へ御綱柏を採りにこられた」とある。古代のロマンを秘めて幾星霜を、温存されてきた植物であり、当地ではこの「マルバチシヤの木」を御綱柏と言い伝えてきた。
【看板より】


 潮岬一帯には中世那智勢力の進出により、潮崎荘が成立し、以来那智山の末社となったと伝え、社の修理も那智山とともに行われた。近世の社領高二石七斗余。周参見浦(現和歌山県すさみ町)より津荷村(現和歌山県古座町)までの海浜十八ヵ村の総産土神で、本地仏の観音から「御崎の観音堂」とよばれ、西国巡礼者の礼拝所にもなった。

 潮祭には、春期の岬沖での地先専用漁業権をもつ見老津・江住・里野(現すさみ町)、串本・出雲・上野・有田・田並・江田・田子・和深・大島・須江・樫野(現串本町)、古座・下田原(現古座町)の代表者が寄り合い、神前で護摩を焚き大漁祈願をした。
 この寄り合いを岬会合とよぶ。岬会合は、寛永十四年(1637)に結成されたと思われ、会合衆の結束を強固にするため、神官と会合の触頭を中心に組中定書を確認し、のち船謡遊が行われていた。祭礼は10月18日で、霜月祷とよばれ漁業者の祈祷が行われ、一月二日には豊年・豊漁を祈願した特殊祭事の御弓式が神職宅で行われる。


鎮守社・高皇産霊尊

左から不詳、大己貴命、天照太神を祀る。

潮岬灯台に登って眺めて見た「潮御崎神社」 周参見浦から津荷村の、合わせて18ヵ村の総氏神、立派な社殿である。
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