潮崎本之宮神社
しおざきもとのみや

御祭神 底筒男命、中筒男命、表筒男命

鎮座地 和歌山県東牟婁郡串本町串本

 潮崎本之宮神社は、潮岬東入り口から串本中学校、串本高校に面した道路の奧に鎮座する。本之宮ともいう。
 参道を進み境内に入ると、大きな日露役記念石碑に突き当たる。その右手に摂社が鎮座し、右側奧に本殿が鎮座するが、まずは石垣内にそびえ立つ名老樹柏槙<びゃくしん>の幹周りの太さ、大きさに圧倒される。
柏槙を支える鉄製の支柱が本殿前にも伸びている。応神天皇が大水門浦へ船を寄せた際、串本浦に社を建て、海神社本之宮と号したという。
 平安時代末期の仁安二年(1167)の棟札に「海神三座および拝殿、鳥居を造立し奉る。神主笠島丹波国次代」とある。

 また、徳治元年(1306)、寛正二年 (1461)、弘治二年(1556)、天正三年(1575)、文禄二年(1593)に社殿修復の棟札がある。

 紀伊国主浅野幸長(在任1600ー1613)から、社領二石が寄進され、大島、出雲、串本三ヵ村の氏神であった。



 「柏槙」(びゃくしん)ヒノキ科
  この柏槙は、古くから神木として崇められてきた老大樹で、全国でも有数の大樹です。平成元年三月、岡山県自然愛護協会の全国調査によると大正期に「その中心部は大なる空洞をなし、皮部のみ生存しているけれども尚鬱蒼として繁茂している」とあり「大正十年九月の暴風の為め巨幹二つに裂け、ワイヤロープを以て縛り、木材を以て支持している」と記録されています。
 平成二年九月の台風や、老樹の為幹が裂ける等いたみが目立ち平成三年に補強等がされました。串本町

目通幹  7.46m
 枝張り東西 14.6m
樹高   19.0m
 枝張り南北 15.4m
根元周囲 10.7m
 推定樹齢  1200年

 天保年間紀州藩の事業として編纂した「紀伊続風土記」巻之七十六「串本浦」の條には本之宮に関して

○本 之 宮   境内周囲 三十八間
       住吉大神
   祀神  少彦名命 三社合殿   表行 一丈五尺餘余 拝殿
       熊野権現

 村中字笠島にあり 大島串本出雲三ヶ村の氏神にして新宮の末社なり 土人鹽崎本之宮といふ 御崎明神の古の社地にて 此より今の御崎の地へ遷座し給ふ 故に本之宮といふ 今御崎明神は一社なる 当社は三社なるを以て或説には住吉三社とし 又熊野三所権現とす 今按ずるに中央の社は御崎明神にして 即少彦名命一社は熊野三所なるべし 住吉は海を守り給ふに依り勧請し 熊野は中世此邊那智の神領なるに依りて祀れるならん 今これを定説とす
又或はいふ初に祀る所の少彦名命は潮御崎に遷し 其旧地に熊野三所権現を祀れるならんといふ 然れども他所に本之宮と唱ふる例多し 皆本之神を神領二石を寄せらる
                      神主 小原右近
との記載がある。

   

 境内末社の「香椎神社」
御祭神は、神功皇后 武内大臣 事代主命
 御祭神 事代主命は恵比須社のことで、元串本町字袋寺の元山に祀られていたもの及び、元串本町下浦(955番地)に祀られていたものを移された。明治四十三年二月一日香椎神社へ合祀された。

 

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