總社(総社)
そうじゃ

<通称>総社宮(そうじゃぐう)

ご祭神 大名持命(大国主命)須世理姫命

配祀 相殿に御鎮魂八柱神(高皇産靈神
   神皇産靈神 魂留産靈神 生産靈神
   足産靈神 大宮能賣神 事代主神
   御膳神)
   備中國内大小神祇三百四神社の神々

例祭日 十月第三土曜、日曜

摂末社 式内社の沼田神社
    大神神社 古祀末社十二社

鎮座地 岡山県総社市総社二丁目18-1





拝殿正面の鳥居
 国道からすぐ傍に鎮座するお社であるが、広い境内のせいか、国道の傍にあることを感じさせない。境内は回廊などからも昔の小学校を思わせるような雰囲気。

 創建年月日不詳。大化年間の創建で備中国の総社である備中国内大小神祇官社田社三百四社の神祇を奉斎してある。
 十月の例祭にはこの三百四社外に相殿八柱神と末社十二社を合わせて三百二十四盤の神餞奉献する古例が存続している。天正年間まで神領があった。天正十年兵火で焼失し、慶長十三年再健し貞亨四年に改築した。明治五年十一月に県社に列格した。
 総社は初め、仁徳天皇(313年−399年)の皇妃八田皇女の名代として八田部(八部)と呼ばれ、その後大化の改新(645年)によって吉備国の国が備前(和銅六年に美作国が分かれてできる。)備中国の国府が総社市金井戸に置かれ、国司が中心となって祭政一致の政治が行われていた。

回廊

境内の様子、境内地は5,764坪
 その後平安末期になると、国司の力が弱まって国内の豪族の勢力が強くなつたので国司が毎年国中の三百十二社(末社を合わせると三百二十四社)を巡拝する事が困難となり、そのうえ巡拝の煩わしさを避けるため、国府の近くに社を建てて神々を合祀下ので、この社を総社と呼んだ。
 戦国時代ごろになってから総社を総社宮とか総社大明神と呼ぶようになり社の総社が地名として呼ばれるようになって八田部村の枝村として総社村となった。
 以後明治八年に八田部村が消えて、総社村となり続いて村の発展とともに総社町となり昭和28年に施行された町村合併促進法によって昭和29年3月31日近郷の村村と合併して総社市となった。

拝殿上方に奉納されている備中神楽面

拝殿


本殿

 昭和五十二年に火災で本殿を焼失、五十四年に再建された。
平成六年に総社跡(境内)が市重要文化財に指定された。

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