建水分神社
たけみくまり

通称 スイブンさん

鎮座地 大阪府南河内郡
      千早赤坂村水分357
MAPCODE 36 421 755
ご祭神(中殿)天御中主神
   (左殿)天水分神・罔象女神
   (右殿)国水分神・瀬織津姫神
 建水分神社は大字水分字宮山に鎮座する。延喜式神名帳に「河内国石川郡建水分神社」とある。創建は祟神天皇の五年、諸国が餓えて百姓が農事を怠ったとき、諸国に池溝を穿ち農事を勧められたが、この時、金剛の一支脈の山麓下に水神として水分神を創祀された。祭神としては諸書いずれも建水分神をあげ、古事記に「天之水分神、国之水分神」とし、神社覈録には「建水分は多  気美久麻理と訓べし」となっている。
南遊記事、大日本史神祇志等によれば古来「水分明神」と呼び、一つに上水分宮又は上折方宮と称されている、これらの称呼は喜志村の美具久留御魂神社が、下水分宮又は下折方宮等と呼ばれたことに対となっている。歴代天皇の尊崇厚く、延元二年四月二十七日には正一位を授けられる。
 後醍醐天皇は楠木正成に勅して、もと山下なる今の字下の宮にありしを現地に神殿、拝殿、鐘楼等を造営遷座され、且稲田若干を寄  進して神供に充てしめ給ひきという。その時以来、金剛山の鎮守、付近十八ケ村の産土神として氏子の崇敬が厚い。後織田氏のために社領二百五十貫を没収されて、社頭は衰えたが豊臣秀吉から再び田地の寄進があり、深く崇敬するところとなった。
 社殿は建武元年九月、楠木正成の勅を奉じて再営されたところで、本殿は春日造桁行梁間各一間、左右殿は流造桁行二間、梁間一間で、三殿相並び、屋根は桧皮葺。本殿と左右殿とは渡廊をもって連続し、渡廊の屋根は、桧皮葺になっている。明治三十三年四月特別保護建造物の指定を受ける。明治六年社格制定のとき、当地の産土神の故をもって、郷社に昇格する。
 摂社の南木神社(なぎじんじゃ)ご祭神は、楠木正成公。素木造桧皮葺のお社で、楠木正成の木造を祀る。由緒記によれば、延元元年九月正成の湊川に戦死するや、後醍醐天皇悼惜限りなく、翌二年四月自ら其の像を刻みて当社に祀りもって公の誠忠を無窮に伝へしめ給ひしもの即ち当社にて、後元禄十年領主近江守石川総茂神殿を再建し木像に厨子を加えたのが今の社殿である。退私録に「奉祀木像、束帯儼然、当時遺影、称南木神社、正平帝所レ賜号也」とあるように、南木神社の神号は後村上天皇より賜りしものである。
建水分神社に合祀された神社
元鎮座地 神社名 ご祭神 備考
大字森屋字垣外 村社 森谷神社 素盞鳴命 明治40/9/12 合併
大字川野辺字宮山 村社 八幡神社 応神天皇、天照大神、
田心姫命
     〃
大字桐山字築山 村社 桐山神社 伊弉諾尊、伊弉册命      〃
大伴村大字板持字宮山 村社 厳島神社 市杵島姫命 明治40/10/19 合併
 〃 大字別井字松葉 村社 別井神社 素盞鳴命      〃
 〃 大字イカノ内 村社 別井神社 素盞鳴命      〃
中村大字中字宮の浦 村社 中村神社 天児屋根命、斉主神思兼命      〃
 〃大字馬谷字長峯 村社 馬谷神社 国常立命      〃
 〃大字芹生谷字藤山 村社 奥谷神社 伊邪那美命、天水分神      〃
 〃大字寛弘寺字水汲 村社 水汲神社 天水分神、地水分神      〃
河内村大字弘川字龍池 村社 弘川神社 国常立命、伊弉諾命、
中筒男命、伊弉冊命
明治40/10/21 合併
 〃 大字上河内字石見町 村社 立岩神社 天照大神、天児屋根命、
八幡大神
明治40/10/26 合併
白木村大字白木字北の山    白木神社  素盞鳴命 明治40/10/30 合併
 〃 大字寺田字権現山 村社 八阪神社 素盞鳴命      〃
河内村大字下河内字神山 村社 河内神社 神日本磐余彦命 明治40/11/9 合併
白木村大字加納字戸立 村社 加納神社 罔象女命 明治40/11/11 合併
彼方村大字板持字尾の上 村社 板茂神社 素盞鳴命、大己貴命、
応神天皇、安閑天皇
明治40/11/13 合併
BACK