玉作湯神社
たまつくりゆ

鎮座地 島根県松江市玉湯町玉造508
    (旧八束郡玉湯町大字玉造508)

主祭神 櫛明玉神、大名持神、少毘古那神

配祀神 同社ニ坐ス韓国伊太神社 五十猛神

※アクセス JR玉造温泉駅下車、バス約7分。一畑バス・玉造営業所で下車、県道大東線を約200m上る。
MC 163 286 231
 玉造の温泉街のはずれ、出雲玉造跡。
この辺りは、古代玉作りが行われたところで、境内には上代各種玉類・玉磨砥など(国重文)が保管されている、砥石類収蔵庫がある。
 玉作湯神社は、奈良時代の『出雲国風土記』[天平5(733)]に記された古社で、式内社でもある。ご祭神は、玉作りの神の櫛明玉命、国造りと温泉療法の神 大名持命(大国主命)、温泉守護の神 少彦名命の3神。神社境内は、全域が国指定史跡で、花仙山周辺では最古の玉作り遺跡である。江戸時代には、隣接するお茶屋(松江藩別荘)に、たびたび歴代藩主の逗留があり、神社への崇敬も篤かった。明治以後、天皇即位の式典に際し、ここで作られた瑪瑙(めのう)・碧玉(へきぎょく)製品が献上された。
[境内の看板より]
 古語拾遺に「櫛明玉命は出雲玉作の祖也」云々とあり、神武天皇御即位の時には命の御子孫命の御祈玉を献じ践祚を賀し奉り、爾後毎歳玉を調物に添えて貢献し給うたことが記され、延喜式臨時祭の條に「出雲國より進む所に御富岐(みほき)玉六拾連、毎年十月以前に意宇郡神戸玉作氏をして造り備へしめ使を遣して進上」とある。拝殿、流波風造の幣殿に続いて、大社造変態の本殿が建っている。境内の雰囲気は、凛として重厚感がある。
 例祭は十月十日。夏祭りは七月十五日。
 また、玉造は温泉でも有名。
ご祭神の大名持命、少彦名命は当地の温泉発見守護及び、温泉療法の祖神として霊験著しい。

 左の写真は、境内の奥にある「大己貴命 湯山主之大神」、真玉の泉。常時きれいな清水が湧出ており、美味しい御神水がいただける。
大己貴命 湯山主之大神
境内社
左から、素鵞神社と同社に座す
記加羅志神社(素盞鳴尊)

福徳神社(大己貴神)
澤玉神社(猿田彦命)
金刀比羅神社(大物主神)
稲荷神社(宇賀魂命) お社の裏側のお稲荷さん達
 稲荷神社の裏手に廻ると山手の斜面に横穴を掘られ、陶器製の小さなお稲荷さん達が所狭しと並んでいました。耳など丸くなっているところを見るとかなり古いものの様子。
よくよく見ると、その中には、巳さん(白蛇)も居たのでした。
 境内の右手奥に鎮座の玉宮神社。
大正四年に玉の宮からこちらへ奉遷された。玉作湯神社から、大東線を一人女神社方面へ少し行くと、道路の右手下方に玉宮史跡がある。
玉宮神社(玉祖命)
玉宮史跡
内務大臣指定史跡保存地
玉宮史跡(玉作湯神社社有地)

 この地は、上代攻玉の祖神櫛明玉命初めて攻玉の業を起こされし地と云われ、古語拾遺にも「櫛明玉命は出雲国玉作の祖なり」と見え、命を御祭神とする玉宮神社の遺跡で、同社境内地及び附近を玉の宮と称する。
 同社殿は、大正四年玉作湯神社境内に奉遷されてより、現今の旧跡を存す。社伝には、この地域は櫛明玉命御起業地にして、初めて攻玉の業を起こし給うに始り、爾後攻玉部の工人集落をなして製玉の業を行われし処と伝えられ、近くには大連塚と称し、上古玉作連(むらじ)の祖を祀れる塚をも現存する。
 此の地は、天正年中及び、万延元年両度の洪水に玉宮川氾濫し地相著るしく麥動を来たせるも、往時にありては山に拠りたる平地ありて往居にも適当の地であったと伝えられている。附近の丘陵には、製玉の原石たる水晶・瑪瑙の類を蔵す。上代において、これ等の原石を以って作られた勾玉を初め、各種玉類並びにその未製品及び玉磨砥、また上代硝子(石+鬼)同坩堝片土器等多数この地域から発見されていることは、これ等上代玉作の由緒を突証している。而して、この地域は我國史上貴重な上代遺蹟として、大正十一年内務省告示第二七〇号をもって史跡保存地にしてされている。
昭和三十九年十二月一日
(平成十年九月四日再記) 玉湯町
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