敏太神社
とした

通称 風早大明神
   かざはやだいみょうじん
御祭神 彦火火出見命 豐玉姫命

境内社 海神社、橘神社、湯之谷神社、熊野社、
高野候前社、秋葉神社、八幡神社、
稲荷神社、結神社、山神々社

旧伊勢国 一志郡 例祭10月 9〜10日

鎮座地 三重県津市戸木町(旧
久居市戸木町)

MAPCODE 80 639 336

道路に面した一の鳥居


二の鳥居

拝殿
伊勢自動車道・久居I.Cを降りて、R165を青山高原方面に向かう。右手、歩道橋のすぐ脇に一の鳥居が国道に面して立つ。
 式内社。一の鳥居から拝殿まで、長い参道が続く。朱色の橋を渡ると拝殿へと至る。
 拝殿の向かって左脇から、本殿の裏山へ続く道がある。裏山(宮山)には、戦国時代に築かれた砦の址がある。現在では稲荷社が祀られている。

宮山城址
天文二十三(1554)年、木造具政が戸木<へき>の地を隠居し、戸木御所と言われました。戸木御所は戸木城を堅牢なものとするとともに、宮山(敏太神社の北側の丘)の頂上付近に出城として宮山城を築きました。
 宮山城の主郭部分は、頂上部分で一辺約二十メートルの正方形の平面をもち、その周りに土塁を積み上げています。主郭の周りには空堀、土塁が巡らせていました。
 天正十二(1584)年、大阪では豊臣秀吉が全国を統一し関白になりました。
 戸木城の城主は木造具政の子ども木造長政でした。同年五月に蒲生氏郷軍が戸木城を囲み、この時、宮山城は蒲生軍に攻め取られました。
 現在は、主郭部分に稲荷社が祀られてますが、土塁、空堀などはよく残されており、中世の山城の姿をとどめています。
【案内板より】


稲荷社へと続く道


本殿
 敏太神社は式内敏太神社と称し、皇祖彦火火出見命とその后であられる豊玉姫命を祀られる由緒深い社であり、神武天皇以前より祀られ今日に至るまで二千有余年の長きにわたり厚い信仰の的である。
 また人皇四十五代聖武天皇は、天平年中橘諸兄郷を勅使として、当社に参向せしめられ祭文を奉献された社でもある。更にまた天文天正の頃、木造左中将具政は当社に居城し、神社の北の嶺に砦を築かれた故をもって木造家の守護神として、信仰深く社殿の造営修築はすべて木造家の資金によりなされた社でもある。
 元禄十二年藤堂佐渡守高堅候も敏太神社の御祭神の威徳を偲び、信仰を深められ縁起一巻を献納し、藤堂家代々の祈願所とされたため、摂社に藤堂高通候(伊勢久居藩の初代藩主)を初め高興候(伊勢久居藩の第9代藩主)の霊位が安置されている。

 拝殿に奉納されている「枡かき祝い」
(別名 斗掻祝い)の絵馬。
 枡と斗掻棒<とかきぼう>が描かれている。斗掻棒とは、枡に穀類を盛った時に枡の縁なみに平らに均す短い棒のこと。
 枡には斜めもしくは、横一文字に線が引いてある。米の字を分解すると、八十八。米に対する日本人の概念とともに、末広がりの字が二重ということで、八十八の字そのものが吉事の印象を与えたともいわれている。
 敏太神社では、最後の厄払い(男女とも)とされ、毎年3月の最初の午の日に従来の厄除けと共に、稲荷社で神事が斎行される。

 「カンコ踊り」(無形文化財)
 敏太神社の秋季例祭に奉納されるカンコ踊りは、戸木町に伝承されているもので、十月に豊年を祝う踊りとして継承されている。鞨鼓<かっこ>と呼ばれる小さな太鼓を抱えて叩きながら踊る。鞨鼓<かっこ>踊りが訛って、カンコ踊りと呼ぶのだろうか。
 男の子は鞨鼓、女の子は花笠で踊る。
年齢は小学生低学年から高校生ぐらいとのこと。昔は敏太神社に組織された神明講の踊りであったが、現在では
「戸木東組かんこ踊り保存会」
「戸木中組かんこ踊り保存会」
「戸木西組かんこ踊り保存会」
がそれぞれ継承している。組別に踊りや囃子が異なり、順次組別に披露される。
以前は毎年行われていたが、現在では三年毎の10月に行われる。
※前回は平成17年10月8日(土)、9日(日)に行われ、次回は平成20年10月に行われる。


明治四十四年 カンコ踊り奉納
の写真が拝殿に掲げられている。
他にも数多くの写真が納められていた。
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