「安珍・清姫の鐘」
「安珍・清姫の鐘」妙満寺什宝 紀州道成寺

 道成寺の釣り鐘は、京都の妙満寺というところに現存している。
この釣り鐘は二代目で、初代の鐘は延長六(928)年に安珍清姫の一件で焼失、約四百年後の正平十四(1359)年に再興されたという。
 道成寺では、何度も何度も新たに鐘を作ろうとしたが、清姫の呪いであろうか、災厄が続き、なかなか鐘を完成させることができなかった。
 そして、四百年の歳月が流れ、正平十四年(1359)年三月十一日に
源万寿丸が施主となり、ようやく二代目の鐘が完成した。


 
【鐘の詳細】

 高さ:約105cm  直径:約63cm
 厚さ:5.3cm    重さ:約250(kg?)
 その祝儀の席に一人の白拍子が現れ、舞いつつ鐘楼に近づき、蛇身に変わって、鐘を引きずり下ろし、その中に姿を消した。道成寺の僧達は「これぞ清姫の怨霊なり」と必死に祈念して、鐘は上がったのだが、せっかくの鐘も宿習の怨念のためか、鳴る音がおかしく、近隣に悪病災厄が相次いで起こったため、山林に捨てられてしまった。
 その後、二百年あまりを経た天正年間・戦国の世。
 豊臣秀吉の紀州攻めのおり、この戦に参加した侍大将仙石権兵衛秀久の軍勢が、この鐘を戦利品とばかりに拾って持ち去り、陣鐘(合戦の時に合図に使う鐘)にしようと京都まで運ぼうとしたが、行軍の途中、京洛の手前で重い鐘を乗せた台車が坂を登りきれず、やむなく土中に埋められてしまった。

 その後、近隣にただならぬことが相次いだため、不審に思った村人たちによって掘り出され、天正十六(1588)年に経力第一の法華経を頼り、時の妙満寺貫首・日殷大僧正の供養によって、鐘にまつわる怨念は解け、鳴音美しい鐘となって今日に至るまで伝わっている。
 妙満寺は、慶応元(1389)年日什大正師によって創建された顕本法華宗の総本山で、鐘が伝わった当時は、現在の京都市役所の北隣に当たる寺町二条にあった。
 道成寺を演じる芸能関係者が、妙満寺に参詣してこの鐘に舞台の無事を祈ったそうで、かつては市川雷蔵、若尾文子などが訪れたほか、現在も芸道成就を願う芸能関係者の参詣がある。

※撮影には、許可を頂きました。

関連サイト:「道成寺(謡ヒ)」滋澤さんのサイト
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